スポーツをやる意味

以前にも書かせていただいたのだが、私はプライベートでサッカーの指導をさせていただいている。
その対象は、下は小学生から上は社会人に至るまでかなり幅広く、選手各々の生活の中でのサッカーという競技の位置づけも実に多様である。とはいえ、一応競技スポーツとしてのサッカーに関わっているので、アマチュアとは言うものの、〝勝利〟することは重要で、そのために日々鍛錬している側面がある。何より、目の前に大事な試合があれば、「勝ちたい」と思うのが人情だろうし、そのために自身の心身をより強くしたいと思うのが、スポーツに携わる者の性(さが)というものだろう。無論、私とて例外ではない。

スポーツ活動を行う第一義的な目的をどこに置くのか、例えば、勝利なのか人格形成なのか。また、何をもって成功と考えるのかはとても大事なことではあるが、これらは、個人の価値観、年代やレベル、また、所属組織によって変わるものであり、これといった絶対的なものはない。
ただし、勝利することを第一義的なものにするのか否か、また、何を成功と捉えるかは別にして、目標達成に向けて歩んでいくその過程において、スポーツ活動は実に多くのことを教えてくれることは紛れもない事実である。

私は、結果や成果というものは、正しい過程から生まれるのであって、決して運や偶然で発生するものではないと信じているが、それは自身の経験もさることながら、かつてプロ野球界において選手、監督として活躍された故野村克也氏が、その著書や講演の中で、「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」と述べておられたことや、日米の野球界で活躍されたイチローこと鈴木一朗氏(以下イチロー)が、同じく、「僕は天才ではありません。なぜかと言うと、どうしてヒットを打てるか説明できるからです」と言っておられるのを聞いて確信を持ったことの方が大きい。
また、成功や失敗についても、同じくイチローの「やってみて「ダメだ」だとわかったことと、はじめから「ダメだ」と言われたことは違います」という言葉や、サッカー界のスーパースター、リオネル・メッシ氏が言った「努力すれば報われる?そうじゃないだろ。報われるまで努力するんだ」という言葉に多大な影響を受け、飽くなきチャレンジ精神のもとでトラ&エラーを繰り返し、物事を成就していくことの大切さを学ばせてもらった。

こうしてあらためて文字を起こしてみると、自身が携わっているサッカーというものの活動目的は、「成長」であったような気がする(そしてこれからも)。それは、自身と選手、そこに関わる人々すべてが対象であり、その中身には、サッカーのパフォーマンス、精神力、人間性、勝利を通じて学べること、負けることで学ぶもの・・・・すべてを包含したものであると言ってよい。
ちなみに先のイチローの日米通算の生涯打率をご存じだろうか? 答えは3割2分2厘(13,553打数4,367安打)である。彼は、なんと9,186本の凡打を積み重なる中で、4,367本の安打を生み出したのだ。かの安打製造機と言われる名打者をしても、その過程では一万回近い失敗を繰り返しているのである。なんとも勇気づけられる話ではないか・・・・。

著者:小辻 一巳(こつじ かずみ)